昨日は第6期 ELM勇気づけ勉強会 でした。全12章の第10章「当たり前の価値観を再認識する」でした。もう章も終盤に近づいています。メンバーの学びあう雰囲気も違いを尊重しあい高め合う姿勢も素敵です。この学習グループの皆さんの共同体感覚は昨日のワーク「ヨイだしワーク」でよく現れていました。メンバーからのヨイだしは愛溢れる勇気づけでした。

アドラー心理学では、「共同体感覚」という価値観を大切にします。
「共同体感覚」というのは、共同体への所属感・ 共感・信頼感・貢献感を総称したもので、カウンセリングや教育の目標とされ、精神的な健康のバロメーターとみなされます。


一方、自分の居場所がなく、自分のことしか考えず、周囲の人達を信頼せず、他者の役に立とうなどと毛頭考えない人は、精神的に不健康な可能性が高いといえます。共同体感覚が低下していると言えます。

 

この「共同体感覚」を考えていた先日、金曜日の致知出版社「偉人メルマガ」の記事が目に入りました。私たち日本人は、本来、「共同体感覚」の基盤となるものは持ち合わせているような気がしました。ただ、アドラーのいう共同体感覚では『横の関係』が基本で、『縦の関係』で成り立って来た日本文化の部分もありますが・・・。安岡先生の教えはやはりアドラーのいう「共同体感覚」に共通する部分を感じました。

 

参考までにご紹介いたします。

2018.11.09 偉人メルマガ
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月刊『致知』の創刊40周年を記念して刊行される『安岡正篤活学選集』。
『致知』2018年10月号では、
「後世に語り継ぎたい安岡正篤の教え」と題し、
安岡正篤師のご子息・正泰氏と、
安岡教学の普及に尽力する荒井桂氏に
ご対談いただきました。

その対談の一部をご紹介します。

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才幹に優先すべき人間の徳望
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【安岡】
父から教えられた最も大きなことは
縁と情ということで、私自身、この二つを
大事にすることを人生を歩む上での
大切な法則だと心得てきました。

それに一つ加えると、我が家の応接間には

「士別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし」

という父直筆の額が掲げられています。

中国の『三国志』の時代に、呉の呂蒙という将軍が
語った言葉で、この言葉も人生の指針にしてきました。

自己鍛錬に努めている人がいれば
三日も経つと見違えるほど成長しているという
意味なのですが、私の好きな箴言の一つですね。

【荒井】
「人生の法則」という特集テーマに関連して、
私の思うことを述べさせていただきますと、
安岡正篤先生は人のことをなぜ人間というのか、
一人称単数をなぜ自分と呼ぶのか、
この「人間」と「自分」という二つの言葉に注目し、
重視しておられました。

人のことを人間と呼び習わしてきた
我が国の伝統は素晴らしい、というのが
安岡先生のお考えなんですね。

そして、安岡先生と同様に、
昭和の国難の時代を精神的にリードしてきた
哲学者の和辻哲郎先生もまた、
この人間という呼称に着目して
『人間の学としての倫理学』を著されています。

人はそれぞれオンリーワンの存在でありながら、
他の人ないしは人と人々との間柄の中を
生きていく社会的存在であることを
「人間」という言葉によって
端的に表現していることをお二人の碩学が
評価されている。

このことは実に注目に値すべきだと思います。

【安岡】
なるほど。その通りですね。

【荒井】
そして、オンリーワンの存在でありながら
社会的存在として活動することは、
所属する企業や集団の中で果たすべき役割を
分担していくことでもあります。

「分際」というのはまさにそれを
言い表した言葉ですが、
このような人間理解があればこそ、
「自分」という呼称は素晴らしいと感じるんです。

この人間に対する理解を正しく持つことも、
生きていく上では忘れてはならない
人生の法則なのかもしれません。

【安岡】
父はよく自身の使命として
「僕の人生は東西古今の名言や語録の渉猟に
明け暮れてきたが、この功徳は僕にとっても
大変なものがあった。
これを分かち与えるのが僕の使命である」
と語っていました。

父が先賢の書から掴み取った法則や真理を
伝えていくことを使命としたように、
その志を受け継ぐのが私たちの役割なのだと思います。

【荒井】

致知出版社から選集が刊行される意義も
そこにありますね。

私は最後に選集十巻をはじめとする
安岡正篤先生の著作に共通する
最大の主題とも言うべき修己治人の学について
述べさせていただきたいと思います。

企業や組織、ひいては国家、社会の指導者となる人々に
絶えず求められる資格は、その人の徳望と才幹だと
言えるでしょう。

企業や組織の興亡盛衰を決めるのは人だからです。

修己治人の学は詰まるところ、
この徳望と才幹を磨くにはいかにあるべきかを
追究するための学びだと思うんです。

残念なことに、現代人は才と徳とを
「賢」という概念でひと括りにし、
優先順位が何かが分からなくなってしまっている
感があることは否めません。

【安岡】
おっしゃる通り、いまは徳望よりも
むしろ才幹が重視される風潮にありますね。

しかし、それでは世の中は混沌とするばかりで、
極めて危惧すべき状態です。

いま一度、人生の法則に立ち返るためにも、
父の書物を学び直す必要があると思います。
そして、その教えを後世に継いでいくことが大事です。

その意味で、今回の
『安岡正篤活学選集』の出版は
ありがたいと思います。
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【永久保存版/現代に甦る人間学の宝典】

今日もブログに来ていただきありがとうございます。