この本は、小児科医の松永正訓さんが、著述家・講演家の立石美津子さんと自閉症の障害を持つ息子さんの関係や、その成長の軌跡を書いたルポタージュです。
おととい届いたばかり・・・昨夜、読み始めたら止まらない。読み進めるにつれ、引き込まれていきました。「子どもを持つ全ての保護者」「教育に関わる全ての方」にお勧めです。いいえ、全ての人にとって、障害をどう理解し、受容しながら、共に生きていくか・・・現代社会で生きる私たちに役立ちそうです。
「我が子どもに普通に育ってほしい!」は、誰でもが願うことでしょう。健常で生まれていても、『普通』であることに囚われ、周囲と比べては心配や不安に駆られる親御さんが多い。立石さんは、お子さんとそれを取り巻く社会環境の中で起こる課題に悩みながら、その障害を少しずつ受容し、親としての自分自身とも対峙する姿が力強く勇気づけられました。
「発達障害」についても、改めて学ぶ機会となりました。そして、私自身にも問いかけられる課題として、障害をどう理解し、どう受容していくのか、考えさせられました。
③生きる力 (第10章 いよいよ中学生 P121より)
母はこの担任からいろいろなことを学んだ。あるときは、勇太君の自立について諭された。
「大事なことは、難しい計算ができることではありません。しっかり挨拶して、人から愛される人間になることです。できないことは、できる人にお願いして、自分からSOSを出せることが大事なんです。自立、自立と言ってムキになる必要はありません。健常者だって自立できていない大人はいくらでもいます。だけど、自立って何でしょうか?何でも自分一人でできるようになる必要はありません。誰かに助けてもらって一緒に生きていくのも自立の一つの形です。どんなにがんばっても勇太君には無理なことがあるんです。できないことを無理にやらせるのではなく、できることを見つけてそれを伸ばせばいいんです。」・・・・。だが、親の心理とは複雑であり、理屈と感情がもつれることがある。・・・。
③障害と虐待 (第14章 相手の心が分からない P173より)
・・・・高機能広凡庸性発達障害(自閉症)のこどもの9,7%が虐待を受けていた。繰り返すが、社会性の乏しい子や、コミュニケーションに問題がある子は、しつけの悪い子に見える。親はしつけようと躍起になり、それがうまくいかないと我が子との間に愛着形成ができない。過度の躾は体罰になり、昂じると虐待になる。アスペルガー症候群の子どもの生きづらさは私たちが想像しているレベルをはるかに超えているだろう。相手の心が読めないというのは、社会せいの形成という意味で極めて重い障害なのである
④育てるから親になる(第18章 障害児を生まない検査 P173より)
・・・自分だって、勇太君を妊娠しているときは、本当の意味で親にはなっていなかった。自閉症児を育てるうちに、「こういう子は受け入れられない、こういう子なら受け入れる」という条件のついた愛にはならなくなっていった。「障害があってもなくても、育てる中で人は親になっていく」勇太君を17年育てて、母はそう思うようになった。
ふとアドラーの教えが頭を過ぎりました。
重要なことは、人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである
ーアドラーー
学生でも、私を含む社会人でも・・・心のどこかで生きることに困難を感じることがあります。そして、長い間、横並びであることが良しとされる文化をもち生きてきた私たちは、多様性が大事と叫ばれる中で、本当の多様さについて受け入れ、根付かせる努力ができてはいないように感じます。
読み終えたとき、なんとも言えない明るい光を感じました。障害についても、とてもわかりやすく書かれていて、さらに立石さん親子の17年間の史跡に、困難を克服する勇気をいただきました。あなたは、この本をどう読まれるでしょうか。
【勇気づけとは、困難を克服する活力を与えること】
アドラー心理学ELM勇気づけ勉強会の冒頭で、必ず声に出していう言葉です。 自分を勇気づけ、大切な人たちをhappyにする勇気づけるアドレリアンとして、まだまだ学ぶことが多いと痛感すると共に、感謝です。
今日もブログに来ていただき、ありがとうございます。