寝付かれない熱帯夜の昨日、「透明なゆりかご」の再放送をウトウトしながら観ていた。
物語は、町の小さな産婦人科医でバイトをする、感性豊かな少女がそこで日夜繰り広げられる赤ちゃんの誕生や、中絶、望まれて生まれてくる子、望まれずに生まれてくる子・・・”命とは何か”を問い、見つめて成長していく物語。

 

 

産婦人科の前に置き去りにされた赤ちゃん、お世話を任された少女の手を握る赤ちゃんを観て微笑む少女に、ベテラン看護師が「それは、把握反応・・・赤ちゃんが生きていくために、自然に握り返す原始反応。それは誰の手だっていいのよ・・・」と教えていたシーンが印象に残りました。

 

 

把握反応
吸てつ反応
口唇追いかけ反応
モロー反応
共鳴反射
歩行反射・・・etc
これらの原始反応は、
1)生き残るため
2)将来の学習や生活の土台作りの為で
赤ちゃんが適切に安全に成長するのを助ける
全て新生児の赤ちゃんが、生きていくための必要な反応・・・ですって。
原始反射は、胎児期に獲得されて出生後すぐに見られますが、大脳皮質が成熟するにつれて反応が抑制され、赤ちゃんの意思による運動が機能するようになるそうです。

 

 

手のひらに手が触れると、強く握りしめるのだって、
母の手でなくてもいい、誰の手であろうが関係ない。
改めて私たちが神様からもらって生まれてきた能力の凄さを教えられた気がします。

 

 

SMILE愛と勇気づけの親子関係・人間関係セミナーに出てくるアドラーの幸福の3条件は、
1)自分が好きであること:自己信頼
2)他の人たちを信頼できること:他者受容
3)自分は役に立つ人間だと感じること:貢献 

 

この3つが満たされていないと、人は幸福を感じることができないし、一つでも不十分なものがあれば、不幸だと感じます。また、自分のことが好きだと感じることができないと、他の人を信頼することお、自分は誰かの役に立つ人間だとも感じることができません。

 

 

SMILEセミナーやELM勇気づけ勉強会、また先日の講演会でも、子育てに悩むお母さん達からの声の中には、
「もしかしたら、子どものことを信頼できていないのかもしれないです」と出てきます。そこには、大人の自分が望む通りになってくれないことへの心配や不安、焦りがあるのかもしれません。

 

 

それでも私たちは、誰もが自ら生きる力を持って生まれてきています。誰に教えられるでもなく、自らの力で生きようとする神様が持たせてくれた能力です。もしかしたら、自分や人をただただ根拠なく「信頼する」原点は、ここにあるのではないだろうか・・・と考えました。

 

 

誰かに教えられたのでもなく、私たちが神様からもらって生まれてきた能力の凄さ。これを信頼したいですね。

 

 

「信頼」

私たちは、自らの力で生きようとする能力を持ち、
生まれてきた
自分と他者の「生きる力」をただただ信頼しよう
その生きる力に周囲ができること
・・・それは応援し、見守り、支援すること
-Morley-

 

今日もブログにきていただきありがとうございます。