大好きな花に包まれて

2020.06.29

令和2年6月24日母が旅立ちました。不思議なぐらい感謝の気持ちで溢れているのは、母の人生の終い方があまりに素敵だったからでしょうか。

 

 

 

 

 

24日は午前中からずっと母のそばにいることができました。午後から父と叔母、そのお嫁さんが来てくれて、父が話しかけた時、母は少し目を開け反応しました。その後、懐かしい話をしながら話しかけたり・・・。夕方、父を送ってもらってもう少し傍にいることにしました。

 

 

「今日はもう目を覚まさないんだね」と話しかけて「帰ろうかな」って言っているとき、馴染みの看護師さんが仕事上がりに声をかけに寄ってくれました。その時「あれ・・・もしかして、息されてないかな・・」その時初めて気づいたんです。

 

 

状態を聞いていたら、どうやら父がいた時に息を引き取っていたようです。苦しむこともなく、もちろん様々な医療器具をつけることもなく・・・本当に優しい表情で眠るようにして旅立っていたのです。

 

 

ずっとずっと仕事をしていた姿と、仕事を辞めてからは地域の為に生きてきた母です。その母が10年以上前、交通事故で首骨折でICUに入ったときは、生きているのが不思議なぐらいだと言われました。そこから暫くは、父が介護しながらの生活をしていました。それも難しくなり私の住む広島市内のサ高住に済み始めました。そして、墓終いも家終いもして広島で生きることに。

 

 

最初と2箇所目の施設はサ高住のみだったこともあり、特養やショートサービス、サ高住もあるリアライヴ高陽さんを終の棲家とすることに。終盤はショートステェイを利用していました。10月中急に食事が摂れなくなりました。ショートステェイは点滴などの医療行為ができないんですね。

 

 

かかりつけ医の先生と相談して、その先生のいらっしゃる病院の上にある医療付き高齢者住宅に入りました。以前からその先生に「最後はどんな見送りを望んでいますか?」と聞かれていたけれど、とても想像なんかできませんでした。ただ、両親は『何かあった時、延命治療などは望まない』という話だけは聞いていました。それだけはお話しましたが、その意味などの全く理解はできていませんでした。

 

 

その時は、ピンとはきてなくて、どういう意味だか理解できなかった。と言うより考えたくもなかったんでしょうね。母が亡くなって初めてその意味がわかった気がしました。

 

 

人生で何人かの息を引き取る瞬間と立ち会ってきました。でも、それは結構厳しいものでした。機械の鳴り響く音・・・タンを吸い取る時の痛みのしんどそうな様子・・・そのどれも、辛いものでした。人はこんなにも穏やかに眠るように逝くことができるんですね。

 

 

これまでさんざん痛い目をしてきたから、人生最後も神様からのギフトなのかと思ったくらいです。時期も時期・・・家族葬で見送ることにしました。

 

 

 

 

それでも母は6人きょうだいの末っ子さん。(すでに兄や姉は先に旅立っています。)そのいとこたち皆んな駆けつけてくれました。「えみいちゃん」の愛称で親しまれていた母・・・大好きなみんながお見送りしてくれました。

 

 

 

 

お花が大好きだった母は、溢れるほどの花で包まれてまるでお姫様のようでした。やっぱりえみいちゃんはえみいちゃんだった〜〜〜。コロナ自粛があけてみんなが来てくれるのをまるで待ってたのかもしれません。

 

 

 

 

葬儀の25日は、なんと父がいつもの心臓発作ででてこれないという大パプニング。でもそれさえ、私には「父さん、あなた来たら連れてくわよ〜寝ときなさい!!」と大好きな父を呼ばなかったんだと思えました。あなたはやっぱり私のエンペラーだったわ。

 

 

 

世界中のヒト75億・・私が出会えるヒトの数は、ほんのわずか。全宇宙で唯一の137億年の中の一瞬の生命の中での出会いは奇跡。その奇跡を私に体験させるために生命をくれた両親です。その両親は、生き方のお手本だけではなく、死終いのあり方まで私に教えてくれています。

 

 

【死生観】は人それぞれです。どんな人生を送り、人生の終わりをどのような形で迎えたいか・・・について考え、準備することは決して後ろ向きでないと感じました。そして、私は母のような死終いがいい。眠るように大好きな人たちに囲まれて人生を終えて旅立ちたい。お陰でたくさん「ありがとう」が言えました。

 

 

ときには衝突することもあったけれど、アドラー心理学の学びのお陰で自分の望んでいたことを知り、自分自身の気持ちを伝えたり、相手を許すこと、自分を許すことも少しずつできるようになってきたし・・・何より母のことが大好きだったことにも気づけていたこともあります。

 

 

ふと【家族会議】のことを思い出しました。誰でもが迎える人生最後の時のこと・・・家族会議が本当に民主的にアドラー的な関係でおこなえる家族に育っていたら、後悔の少ない幸せな見送りができるのではないだろうかと思いました。

 

 

長い文章になりました。最後まで読んでいただきありがとうございます。
また、今ここを大切に味わいつくしながら、元気に顔晴れます。