人生のありようを人生をかけて教えてもらう

2020.07.08

 

母が逝って2週間・・・今日は叔母の納骨に父と一緒に行ってきました。
諸々の手続き等で、田舎に行ったり区役所に行ったり・・・人が亡くなるということは、現実的にはこんなに諸手続きが大変なんだと驚かされます。

 

 

叔母は大正12年生まれで97才の大往生です。私が知っている叔母は、散髪屋さんのおばちゃん。めちゃおしゃべりでシャキシャキして、時折、「読書会」かなにかのボランティア活動をしていたように記憶しています。

 

叔母の生まれてから死ぬまでの戸籍謄本・・・なんと手書き書類だけでも3セット、+改定後でも2セット。でもこれじゃ済まない。出生からの米子時代、さらに一度四国に嫁に行っていたらしい。その2県分は取り寄せとなります。まさに時代をまたいで生きてきたことがよくわかります。

 

 

母が亡くなったのは24日夕方で、その翌日の朝叔母も逝きました。お葬儀にも行けず、施設にお任せしていたこともあり、早くお骨をもらいに行ったり諸々諸手続きをしなければと思っていたわけで、肝心の母関係の書類は忘れていたことに気づき、父と苦笑いです。

 

 

父も87才で心臓が悪いこともあり、諸手続きで一人であちこちするのも心配ですし、一緒にお手伝い。長い間役所勤めをしていたとは言え、その手続等に関する記憶もあやふや。ましてやお祖父ちゃんたちの葬儀の時のことも遠い昔。ああでもない、こうでもないと言いながら、二人でグッタリ。

 

 

勇気づけになるのは、母がとてもいい終い方をしてくれたこと・・・「良かったよね」と話しながら、車の中で思い出話。
大切な人が亡くなり、すぐに向かい合わなきゃいけない作業。普段はあまり縁のない事柄が多く大変な作業です。それでも、もしもの時があればと、父がある程度は考えてくれていたからこそ、お葬儀を終えるまでのことはスムーズにいったので感謝です。

 

 

やってみることで、わかることばかり・・・親は、自分の生き様を通して生き方やあり方のモデルを示してくれているだけではなく、死してまたその後始末への心構えまでを教えてくれています。やっぱり凄いな〜〜。そこから何を学ぶのか、自分の未来に何を描くは、子ども自身です。

 

 

 

 

 

人生では、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと・・・色とりどりの出来事があります。でもその出来事で何を感じ、どう考えて行動するかは全て自分が決めています。母ともやりあったこともたくさんあります。それでも、その時はわからなかったけれど、母なりの思いがあったんだと考えることができるようになりました。同じように私にも私なりの思いがあったから。

 

 

自分の思いだけをぶつけて、相手の思いは受け取る事ができていなかった私。生きている間ならまだ修復はできますが、亡くなればそれさえできないんです。例え生きていてくれても、認知症になったり、話し合えない状況であればそれさえできません。

 

 

アドラー心理学の学びを重ねて深めていくことで、少しずつ自分自身の不完全さを受け入れ、相手を責めていた自分を許し、相手も許す自分が育ちはじめています。だから、ここ数年は、母ととてもいい感じで向き合うことができていました。もちろん、何度もそうできなかったこともあるし、トライ&エラーの繰り返しでしたが。だから見送るときも、感謝でいっぱいの自分でいれたと感じます。

 

 

母も、そして父も・・・人生のありようを自分の人生をかけて教えてくれる尊敬する二人です。感謝しても感謝しきれないから、自分の生き様でお返ししていくんだと改めて考えた一日です。

 

 

今日もブログにきていただきありがとうございます。