9.11アメリカ同時多発テロ事件の遺族たちの今をTVで放映していました。
「最後だとわかっていたなら」
あなたが、眠りにつくのを見るのが、最後だとわかっていたら私は、もっとちゃんと
カバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう。
あなたが、ドアを出てゆくのを見るのが最後だとわかっていたら、
私は、あなたを抱きしめてキスをして、そしてもう一度呼び寄せて、抱きしめただろう。
あなたが、喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが、最後だとわかっていたら私は、
その一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう。
たしかにいつも明日はやってくる。
見過ごしたことも取り返せる。
やり間違えたこともやり直す機会がいつも与えられている。
「あなたを愛している」ということはいつだって言えるし、
「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる。
でも、もし、それがわたしの勘違いで、今日で全てが終わるとしたら
私は、今日どんなに、あなたを愛しているかを伝えたい。
そしてわたしたちは忘れないようにしたい。
若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを・・・
愛する人を抱きしめるのは、今日が最後になるかもしれないことを・・・・
明日がくるのを待っているなら、今日でもいいはず。
もし、明日がこないとしたら、あなたは、きょうを後悔するだろうから
微笑みや抱擁やキスをするためのほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして、してあげられなかったのかと
だから今日、あなたの大切な人たちを、しっかりと抱きしめよう。
そして、その人を愛していること。
いつでも、いつまでも、大切な存在だということをそっと伝えよう。
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝えるときを。
そうすれば,もし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから
「最後だとわかっていたなら」・・・
2001年9月11日・・1機目が激突後、救助の為最初にツインタワー内に突入した数百人のレスキュー隊のうちの一人で、行方不明の消防士(29歳)が生前に記したものをアメリカのサンディエゴ在住の日本人、佐川 睦さんが翻訳した詩です。
私たちは、明日が間違いなく来るであろうと思い過ごしているかもしれません。明日のことなど誰にもわからないはずなのに、それが当たり前のように多くのことは考えずに過ごしている。
明日のことなど誰にも約束されてはいない。だからといって悲観的になり全てを投げ出すのでもなく、今日までを後悔の念でいっぱいになるのでもなく。今日という日を、今生きていることに感謝できる自分でありたい。そして、明日という日に希望や夢を持って迎える自分でありたい。
そう思うと、とっても勇気をもらえるような気がしませんか。