リオール通信できました。
ダイジェストはニュースページで。
いつも月末ギリギリで作成に入りますが、
明日は帝釈峡まで出張です。
がんばって仕上げました。
今日はアウトローの学び方より。 リオール通信119号 (2009年4月)より
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≪信頼を失う瞬間≫−52−
父が、胸が苦しいと訴え病院に担ぎ込まれた。
ここ2年、不整脈で治療を続けていたが、薬の量をどうやら間違えたらしく、
投薬を止められて倒れたらしい。
その後、担当医の先生の受診を一度受けたきりで頑なに病院に行くことを
父は拒んだ。
一向に上がらない血圧やしんどそうな顔を見ていて心配になり、
私はその担当医の先生のところにいくことにする。
「今後どうしていけばいいか」を相談に行ったが
「痴呆以外に考えられません。薬の管理ができない人に薬は出せません」
の一点張り。
そうか・・・痴呆と言われたことに腹を立てていたのかと思った。
私でも先生に話しを聞きに行った時、「この先生<痴呆>という言葉は
使ってはいけないことさえ知らないんだろうか?」と少し私はいらついた。
それは別としてこれ以上そのままにしておくこともできず、セカンド・オピニオンの
先生からの診断を仰ぐことを父に提案した。
担当医から私が治療経過をもらって他の病院に行った。
勿論、一緒に行って説明を聞く。
正しい病名、一生付き合っていく病気であること、薬の説明と
その薬が効かなくなった時の別の治療方法…などなど
詳しく説明をもらい、別の病院の紹介を戴く。
もちろんその病院の中での他のお医者様への担当替えの提案ももらったけれど、
その時父は「100%私が悪いとしても、あの先生のところへ行く気はありません。
二年間で二回、これからどうなるのかこの病気の治療方法を聞いたけど、
一度も答えてくれなかった。病名は不整脈としか聞いていませんでした」
と伝えた。
無事、今後治療を受ける病院も決まり、色んなことが明確になった父母、
そして私もホッとして笑顔になる。 その歓びのまま食事へ。
不安だった毎日のことを父が初めてしゃべった。
「病院に担ぎ込まれて、意識が遠のいていくとき何度も看護婦さんが呼ぶのが
うるさくて、もう頼むから寝かしてくれ!って思ったんよ」・・・
「それにしても、意識が戻って診察室から出て待っている時に、
あの先生が二回も前を通ったけど、目が合って『あれ』って顔はしたけど、
ひと言も声をかけることはなかった。なんと冷たい先生じゃろう・・・
二年間も診てもらっていたのに。あの時、もうこの先生はダメだと思った」
そうなのだ・・・本当に父が怒ったのは、この瞬間だったのだ。
目の前を二回も行き来しながら、自分の担当している患者に
声もかけずに通り過ぎたことが信頼関係を断ち切る決定打に
なったのだ。「痴呆でしょう」はダメ押し・・・
もちろんそこまでのやりとりでの不信感から始まってはいるが。
信頼を失う瞬間って、ほんの小さな出来事・・・
相手の心を感じられないとき「見捨てられ感」や「忘れられ感」などで
音をたてて崩れていくのだろう。