目の前を懸命に生きる!

2014.09.30

9月最終日です。
仕事ができる喜び、日々を楽しめる喜び・・・感謝で9月の締めくくりです。
先日長野、岐阜両県の県境に位置する御嶽山が噴火したというニュースに

改めて火山のある国で暮らしているんだと再認識しました。
自然とともに生きることの大切さを意識すると同時に、
生きていくということは自分ではコントロールできない出来事だらけ。
その中で、いかに自分の状態を整え今を生きるのかを考えさせられます。
感謝を込めてまた日々精進してまいります。

今日はアウトローの学び方から。
丁度2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震直後、
客先の店舗周りをしていて感じたことを書いています。
****************************************
りオール通信 2011年3月 137号より
≪目の前を懸命に生きる≫−69−

「仕事をしていて、ふと今大変な惨事が起きているのに、
自分はこんなことをしていていいのだろうか?」
ふとそう思う瞬間があるとある店長が正直に話してくれた。 

だからと言って仕事を一生懸命にやっていないわけではない。
 集中しようにも集中しきれない心の中のざわつきがあるのだ。 
東日本を襲った大地震・・・連日その惨事が起きる瞬間の模様が流れ、
その後の被災地の様子が流れる。 その上 原発崩壊の危機が襲う。
「今、自分にできることは何なのだろう」
そういう私も震災直後からずっと悶々と考え続けていた。

正直には、今でも考えない日はありません。 
毎日、公共広告機構のCMが私たちに問いかけます。 
自粛規制でコマーシャルを控えていることもあるのでしょう。 
すてきなものが多いのだけれど、刺激鈍麻の法則で知らず知らずのうちに
イライラする人が増えてしまいことも気にかかります。

事態が起こる前から心が弱っていた人たちが更に無力感にかられてしまうことも
気になります。  

一致団結して復興へむけていこうとすることは素晴らしいことです。 
ただ、その集団心理の裏側にある日本人の得意な「右ならえ」の集団心理の
メカニズムに不安を感じます。 
日々の生活の中で笑うことも、楽しむことも罪悪感を感じるムード・・・。
「喪に服す」ことは大切でも、日本全体が「喪に服す」ことは違うと思うからです。

日本という国が元気力を失うこと・・・・・・それは日本の経済を止めてしまうことであり、経済が冷え込むことは、イコール国家予算を被災者に回せないという悪循環を
生みだすからです。 
 
被災地にいない私たちが今やるべき事は、
目の前の仕事を逃げないで 今必死で立ちあがろうとしている人たち以上に
自分のやるべきことに命をかけることだと考えます。 
生かされている大切な自分の命をかけて
目の前のやるべき役割や使命を懸命にやること・・・
そして、西日本から“元気力”を発信していきましょう!!  
がんばれ東日本!がんばれ西日本!がんばろう日本!   報恩感謝。 
カスタマイズHappyレッスン Facebook