一昨日連れていってもらった
東京大神宮にお参りしてから
東京大神宮にお参りしてから
神楽坂へ。
『happyで在りたい』は私が人生に望む在り方。
『happy』と『lucky』の違いは?と質問され、はたと気付く!
『happy』は自分の内側で感じものであり、
『lucky』は外界からの何らかの刺激によりもたらされるもの。
例えアンluckyであろうと、自分の心のなかまで
アンhappyになる必要はない!
そもそもいつも誰かに依存して「〜ならば」族な人たちは、
自分の心の在り方まで誰かに依存して、
決めてもらわなきゃいけなくなる。
案外、人は自分のことで精一杯で、人の人生を決めたり、
ましては人の人生を考えるほど暇じゃないし、
人の人生に責任を持つことなどしてはくれない。
アドラーのhappyの条件は
「自己信頼」「他者受容」「貢献度」決して甘くはない。むしろ厳しい。
親子関係でどう在るべきか、どう対処すべきか考えワークを進むにつれ、
子どもを育てる親自身が、自分が学び、
自分自身を同時進行で育て直していく必要があると!
自分自身を同時進行で育て直していく必要があると!
これは、親子関係だけではなく、先生と学生、
講師と受講生であっても同様です。