修大生からの参加ワークシートに続き、昨日の研修報告書も続々と届いています。
まずは量から・・・そのあとで内容理解度、自己変化度をみていきます。
大丈夫・・・15回が終わり最終レポートでは3枚以上スラスラ書けるようになります。
ほんの90分でも何かを感じ取れる人もいれば、
理屈ばかりで、頭で考えてばかりで理解したつもりの人もいます。
これ・・・なんなんでしょうね。
学べない人って、大学生でも企業人でも共通点があると気づきます。
やたら質問が多い。そして、人の話を聞いていない。
質問は多いに歓迎なのですが、その質問も、指示が出たことについてがほとんど。
その挙句が・・・指示通りにできていないので始末が悪い。
そして人一倍真面目な人。
自分はできていると思い込んでいるし、一生懸命ですから、
メンバーが迷惑していても気づけない。 いわゆるKYタイプ。
頭でっかちで、就職も難しいし、企業でも困った人になることが多い。
ここまでの日本の教育制度の賜物か・・・やり方(DO)ばかりが気になり、
それに影響を与えている在り方(BE)がないんです。
ここをゆるめて、どちらも使えるように成長していただくのが仕事でもあるのですが、
たまに「フ〜〜」ってでてしまう。
修大は毎週で15回、企業さんも一年間なので実体験を通して学んでいただきます。
研修では、みなさん仕事でのスタンスが実はそのまま反映されているから面白い!
今日も広島高等裁判所でメンタル研修の打ち合わせをしてきました。
新任リーダーの方たちが対象ですが、上下にそんな人がいても厳しいし、
自分自身もコントロールが必要になってきます。
コントロールは自分自身でできるようになるというお話をしながら、
心技体トータルで整える必要があることなど話してきました。
大好きな『学ぶということ』ご紹介します。
学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。
学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、
終わることのない過程に一歩ふみこむことである。
一片の知識が学習の成果であるならば、
それは何も学ばないでしまったことではないか。
学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、
終わることのない過程に一歩ふみこむことである。
一片の知識が学習の成果であるならば、
それは何も学ばないでしまったことではないか。
学んだことの証は、ただ一つで、何かが変わることである
ー『学ぶということ』国土社,1990年,95頁ー
左の写真いかがですか?
実は、二枚の写真の合成です♪ それも盛矢が作成!
すごいでしょ・・・とはいえ、
2枚の写真でアプリを使えば簡単に作れてしまします。
情報が錯綜する時代・・・どんどんリアルが遠ざかって
いくような気がします。
それでもやっぱり人は人により育つものだと信じます。
新しいものは若者たちから学び、
古き良きものや、心が突き動かされるもの・・・
大事にしたいものです。 報恩感謝。