朝散歩で出会う野良にゃんこ・・・自由気ままにさんぽ道を独占しています。
所属しないということは、それなりに自分で自分の食扶持を見つける必要もあり、
外敵から身を守るのも自分ということでリスクも高いもの。
所属するということは、そこでの安定や安全はある程度保証されてはいるけれど、
それに伴う責任はついてまわるということ。どちらを選ぶかは本人の自由ですが。
今季始まったリーダー研修などで最初に問いかけてみました。
「私たちはなぜ『組織』を創るのか」
「私たちはなぜ『組織』で仕事をsるのか」
多くの人たちは
「そんなこと考えてもみなかった」
まるで暗黙の了解のごとく、ごく当たり前に組織に所属し、
ごく当たり前のように働いています。
組織を創る人も、そこで働く人も、意識しているかしてないかは別として、
一人では創り出せないチーム力であったり大きなチームパフォーマンスを期待したり、
そこにやりがいを感じていたりもするのではないでしょうか?
でも、研修等で問いかけるとそこに意識がなかったという人が悲しいくらい多い。
でも、そんな基本的なことがちゃんと自分なりの意味付ができていると、
もう少し働き方も違うんじゃないだろうか。
やらされ感とやってやってる感・・・そんな人たちの場合は
どちらにも、権利と責任が伴っていることがまるで意識されていないように
思えてしまいます。
権利と責任はコインの裏表と同じで、もちろん双方に同じようについてくるもの。
どちらかだけに責任がかかったり、権利があるわけでもない。
win-winの関係・・・お互いが勝つ!
所属して働くことから、自分で業合をたてるという道を選んで13年
それでもお仕事を頂くときには、やはり採用していただくだけの説得力や実績も
いるわけで、組織で働く人たちでもだれでもが求められる
エンプロイビアリティ=雇用されうる能力は、所属するしないに関わらず
磨き続けて行く必要があるんじゃなかろうか。
ふっと所属しながらお気軽を装っている人をみると、
そこにそのままでいていいのか!なんて言いたくもなるわけです。
このにゃんこさんであっても見事なもので、
「餌をやらないでください」とあるのに、
せっせと餌を運んでくれる人に、上手に接する術を
身につけていますもん。
私たち・・・働く根底をもっと明確にしていれば、
ブレない、見失わない、立て直せる
そんな自分が育つんじゃなかろうかと。
にゃんこ先生から教わりました。
報恩感謝。