昭和を駆け抜けた父の言葉・・・

2016.06.19

今日は父の日です。
明け方からの凄い雨でお出かけはやめてお買物に付き合いました。
いつものお礼にお昼ご飯はしゃぶしゃぶで。  写真撮り忘れました=
送って帰ってから改めて過去の写真を振り返ってみました。
一番の遠方に行ったのは花のお江戸3年前でした。
 
この頃の父はまだ杖はついてはいませんでしたし、髪型もオールバック。
今はソフトモヒカンですから・・・
これは年末を過ごした道後でのお茶目な笑顔。
今は故郷を出て、広島で
サービス付き高齢者住宅暮らしです。
不自由が多い生活の中で、
楽しみを見出そうとしています。
エールエールやセブンイレブンで
お買物に行くのも楽しみ・・・
カープが大好きで、PCで囲碁を楽しむ。
一番は母の不自由をサポートしながら日々を営んでいます。
父がお祝いの会でお礼の言葉で述べた御挨拶の中に、
まさに昭和を駆け抜けた父の姿を垣間見ることができます。
貧乏で勉強したくても学校に行けなかった父の仕事人生の始まり
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・・・・・・(略)
さて、私は昭和23年4月12日、旧板木村役場にこずかいとして奉職いたしました。
初任給は180円でした。
当時はもの凄いインフレで、2年後には2,641円になりました。
こづかいで勤め始めた当初は、地域の皆さまからよく声をかけて戴きました。
「はよう上にあがらんにゃあ つまらんで」 
「はい、すぐ上がるけぇー」と言ったのを覚えております。

ただ、冬の季節は辛かったこともあります。
普通でも1時間早く出勤しましたが、冬季はもちろんストーブさえありませんでした。
現在のように冷暖房はありませんでしたので、
火起こしをして職員さんの火鉢に入れます。
寒い時季には辛くて顔を黒くして泣いたこともあります。
でも、その生活も2年半で書記にあげてもらいました。
今日があるのも、この時期があったからだと今でもそのように思っております。
努めさせて戴いた554年余りの中には、嬉しかったこと、辛かったこと等
多くの思い出がありますが、これも全てが地域の皆さまに支えられたからこそであり、
重ねて篤くあつく御礼を申し上げる次第でございます。
この上は、私でお役に立てれることがあれば恩返しをさせて戴きたいと
考えております。
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苦労して育ててくれたことを改めて感謝するとともに、

人生を整理しながら今ここに楽しみを見出して日々を生きている姿に
頭があがりません。
そして何よりその笑顔をみるたび、勇気をもらっています。

あなたの子どもで生まれたことを誇りに思います。
それなのに散々迷惑をかけて、何もできていない私に、
父は いつもいつも「ありがとうね! 忙しいのにすまんの〜」のと言ってくれます。
だから・・・まだまだこれから
一緒にカープを応援に行ったり、一緒の時間を過ごしたいと思います。
両親に感謝の1日です。ありがとうございます。
今日もブログに来ていただきありがとうございます。
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