人生の黄昏時と父の選択

2016.08.12

今日は久しぶりに故郷に帰ってきました。

先ずは伯母が入っている地元の老人ホームに。
94歳になる伯母は、昨年あった時より随分と様子も違いました。
「あなたは誰だっけ?」手を強くつなぎ目が合う度、何度も聞いてきます。
応えると「もう頭がバカになったからね!」と両手で頭をポンポンと叩きます。
それでも、父と母だけは名前を聞くと認識できるようで、
「まぁ〜〜〜かくちゃん・・・嬉しいね!」
「まぁ〜〜〜えみちゃん・・・嬉しいね!」
「ここは、いいんよ〜。美味しいものを食べさせてもらって・・・
 何でもお願すると聞いてもらえて・・・」

少し切なくなったけれど、自分の関係の深い大切な人たちのことは、

ちゃんと伯母の中で記憶にあるんだなと。
どうしても、老いていく両親と重なってきてしまうのですが・・・。
まだこうして一緒に故郷に戻ることもできていることはありがたいことです。
 
母の実家のお墓参り。
そして、広島に戻り納骨堂へお参りに行きました。
 
夕食を取りながら、父が祖先のお墓を移した
ことについて、
「自分がした選択は
最高ではないかもしれないが
今できる最良の選択をしたと思っている」と。
子どものいない私は、当然自分がいなくなると
誰も墓守はできなくなってしまうし、
ありがたい選択をしてくれたと感謝しています。
人生の目的は、自分を生きるということ。
自分を生き切りやがて死を迎える。
人生の中でその都度選択していくことは、
最高の決断かどうかなど誰にもわからないことであり、いい悪いでもない。
決断する自分が、今できる最良の選択をしたと思えることが大事なんだろう。
そう思うと、父の選択はやっぱり凄い選択なんだと思う。

『親の「老い」を受け入れる 〜下町医師とつどい場おばはんが教える、
認知症の親をよくする介護』長尾和宏×丸尾多重子著(ブックマン社刊)より、
長尾和宏医師による優しくて心に沁みるポエム。
穏やかなお盆をお過ごしください。
今日もブログに来ていただきありがとうございます。
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