父たちの文集

2017.06.06

昨日夜、父から依頼された文集の表紙イメージを持たされた。
昭和8年生まれの父は今母とサービス付高齢者住宅に住んでいる。

その父が何か月前からPCに向かって囲碁ゲームではなく
何か打ち込んでいたことは知っていたけれど。
どうやら言いだしっぺでもう数少なくなった同級生たちの文集を作るらしい。
手書きで送られてきたモノをPC文章に起こすのが苦労だったらしい。

その表紙に絵を入れてほしいとの依頼。

表紙のお題は『終戦時小学校を卒業した私たちの記憶』だった。
生きているうちに、元気なうちに・・・
自分たちが生きてきた時代の記憶を残しておこうということだろう。

父が叙勲祝賀会を地域の皆さんにして戴いた時、

父のお礼の言葉を思い出しました。
 
父が初めて田舎の役場に小遣いさんとして勤めたのが昭和23年4月12日
当時初任給が180円だったそうです。
2年後インフレで2641円に。
丁度あさドラでやっている「ひよっこ」、その前の「ととねえちゃん」
まさに戦後の日本が立ちあがり進み始めた頃。
日本を支えてきた昭和初期の大人たち。
その生き方が現代にそのまま通用するわけもありませんが、
その頃の誰もが持つ生きる力、エネルギーだけは受け継いでいきたいと思います。
困難なこと、これまでになかったものを創りだし生み出していくエネルギー
それは負の中でも、好転させていくだけの日本人の持つ力であると思います。
子どもは親の姿を見て育ちます。
その生き方を知らずしらずに学びそれを自分の生き方に
好きな部分も、嫌な部分までも重ねている部分もあります。
ただ、時代変化と自分も成長しています。
新しく取り入れた自分の家以外のやり方も練習しながら、
自分なりの生き方を、自分の意思で決めていく。
上手くいかない小さな頃からのやり方を続けていく必要もありません。
時代と共に家族の関係も少しづつ変化していきます。
お世話をされなければ生きることができなかった子どものころ。
大人になり、親も年を重ねていくと自分ではできないことも出てきます。
今度は何かしらのサポートで恩返ししていくなど、役割りも変わります。
それでも親は親。親にとってはやっぱり子どものようです。
心配するぐらいなら自分のこと心配してよと思っていたこともありますが、
心配してくれる人がいることに感謝し、
自分にできることで共に過ごす時間を大切にする。
サポートできることで、人生の生き方を最後まで教えてもらう。
・・・時々カチンとだって来ることはあるけれど、私は神様ではないから難しい。
そんなふうに考えるととても貴重な時間であると改めて考えた日でした。
父たちの文集はいつできるんだろう?
早く表紙の挿絵など決めてもらおう! 
ちゃんと読ませてもらおうと楽しみになりました。

大切な父母の笑顔を見るのが幸せだから・・・
  
今日もブログに来ていただきありがとうございます。
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