今日はお出かけ先でバッタリ出会いの多かった日。
小さな子ども連れのお母さんたちの言葉が耳に入る。
「子どものためにと思ってるのにちっとも言うことを聞いてくれないんよ=」
そうそうと盛上がっている様子。
子どものため・・・ね!?
いったい子どもの『何のため』なんだろうか?
子どものためにがんばる・・・
子どものために我慢・・・
子どものために叱る・・・
色んな「ため」がある。
子どものために・・・で自分を追い込み身体も心もボロボロになってしまった
お母さんもいる。
子どものために・・・と虐待するおかあさんもいる。
先日ドンキで買い物して階段を降りようとした時、踊り場で大きな声が響いた。
「ちゃんと見て!どうして周りをちゃんと見ないの。」
「みてるよ」小学低学年らしき男の子。
「見・て・な・い! ちゃんと見てっていつも言ってるでしょ!」
階段の下から次々人が上がってくるし、降りようとしている人もいる。
そんな中で子どもを正そうと叱っているようだけれど・・・。
階段を降り切ってもまだその声が響いていました。
ここまでくればちょっと考えてしまう。
おかあさん・・・踊り場で子どもと離れたまま大声で叱ってるあなたが
よっぽど人の通りを妨げてるんですけど・・・。
子どもが成長して中高校生、大学生になってからも
「子どものためにと思って、色々言うんですけど・・・」
これぐらいになった時、今の時代の流れを見ている限りでは、
親の若い時代の経験値ではモノゴトが測りきれない時代。
子どもの『ため』だと信じ切っている自分の目的、叶えたいコト、
願っているコト・・・もう一度確かめてみるといいかもしれない。
子どもの『何のため』なんだろうか。
アドラー心理学では、人の行動には全て目的があると考えます。
子どもの取る行動(する、しないも含め)にもその子どもなりの目的があります。
同様に親の『子どものため』の裏には、親なりのもっともな目的があると言うことに
なりますね。
今日も美しい夕焼け空です。
子どもも大人ももっと自分を信頼できるようでありたい。
今日もブログに来ていたきありがとうございます。