ピンクリボンと川名先生

2018.04.25

4月23日は川名一美先生の命日でした。
川名組・・・起業家精神養成講座講師陣で川名センセを偲ぶ会をしたことが
昨日の出来事のように思い出されます。
今日、川名センセを偲ぶ会発起人のメンバー5人で集まりました。
話しても話しても尽きない・・・
そして忙殺される日々の中でも、facebookで あの日の出来事で登場する川名先生に
それも頻繁に会っているから、いつでも声が聞けそうな気がするぐらいです。
がん再発から、最後を迎えるまでがあまりに早すぎて・・・
千葉に飛んでいけなかった後悔や、御葬儀に行けなかった後悔・・・
それぞれが色んな想いを持っています。
何をどのように尽くしたとしても、きっとまだできることはなかったのかと
後悔するんだと私は思います。
こうして彼女を想い、今を語り合うことにより、きっと天国にいる川名先生も
手を振ってくれているように思います。
何よりつながることを大切にした川名先生がつないでくれたメンバーが
こうして集まり、語り合うことも御恩返しなのかもしれません。
当時、亡くなった後4月28日の新聞に取材記事が載りました。
その記事のことを思い出しました。
川名先生の命日が近づいてきたその頃、私の大切な友人が乳がん宣告を
受けました。
その事が重なり、少し息苦しいような日々でした。
友だちは、食生活にも、運動にも気をつかってきました。
そして毎年の検診もマンモグラフーティの検査も欠かさなかった彼女です。
それでも彼女が、ここ数年、キラーストレスを抱えてきたことは知っていました。
仕事をしながら、認知症のパパさんを専門家の手を借りながらサポートしていました。
「そろそろ限界かな?」と気づきながらも、先送りしてきたこと。
書類や写真など見せながら冷静に話てくれました。
驚きはもちろんですが、どう反応すればいいかさえ分かりませんでした。
私の大切で身近な人がガン宣告を受けることなど、想像だにもしなかったです。
その事を伝えてくれたことに対して、私も正直に気持ちを伝えて、
私にできるサポートについて話合いました。
きっと彼女は乗り越えていけるはず。その中で私にできるサポートをします。
人生には予測不可能な出来事がおきます。
それでも友だちのように切り替えながら生きていけるといいです。
また、病気に関しては、予防医学の視点でモノを考えていこうと思います。
そして、病と向き合う人から勇気をもらい、勇気づける存在でありたい。
今日もブログに来て頂きありがとうございます。