アウトローの学び方
≪おごリ≫ その30 〜2007年4月〜
入社(?社員教育研究所)が決定した時、
当面5年間の目標を立てた。
前職で「あなたは組織で生きれない」とクビ宣告を受けた私は
1年目…事務所で受け入れられることが目標だった。
2年目…広島事務所で営業成績1番、
3年目…全国トップ、4年目…トップ成績と管理職、
5年目…1番になれる部下を育てNo1事務所。
二年目で先輩営業は皆いなくなり頼りない新人部隊。
それでも部下の数字は私が叩くと息巻いていた。その一念は実を結ぶ。
当然 全国区に名を連ねると注目を浴びる。
その頃の会社は年功序列に、男女差ありありの給料体系。3年目に入り、
東にいつも比べられられた一年後輩のA女史がいた。
会ってすぐに意気投合して「やった人間が公平に評価される会社にしよう。
私たちが会社を変える!」…そんな想いを会うたび夜遅くまで語り明かした。
営業は結果が全て。結果がでれば出るほど楽しくてしょうがない。
確かにその頃の私・・・成長はしていただろう。
でもそれを部下にも求め続けてきたように思う。
朝は早朝勉強会、夜は呑み会。土日の大半は企業研修の現場立会い。
身体は悲鳴をあげていたが、あえて感じないフリをしてきた。
それが自分のため、皆のためだと…。
その代償として得るものは、所得であり役職だった。そして自己満足感だった。
これだけやったと。
一方で周りから いつも言われていた『がんばり過ぎないでください!』と。
「がんばり過ぎない?? がんばってなんかない。私は白鳥…見えないところでほんの少し努力して、カッコよく皆を引っ張っていきたいの」。
驕りきっていた私は 自分がいなければ、この事務所はたちまち赤字部門に逆戻りだと思っていた。余裕なんてなかった。
悲鳴を上げていたのは私の身体だけではなく、部下も辛かっただろう。
部下の声にならない悲鳴さえも気づけずにいた。
「雲の上の人だった。もっともっとがんばらなきゃ、あなたのようにはなれないんだ・・・自分はダメなんだと思って辞めました」元部下と再会して初めて言われた。
目指されるようになるどころか、自信を失わせていた。
大切なところでがんばることは大事。でも、自分が がんばりすぎて周囲が
見えなくなっていたとしたら…。
どんなに自分は見ているつもりでも≪心に余裕≫のない中での目は、
見えるものも見えていないことにようやく気づいた。
がんばり過ぎず、余った力を他者のためにも使えるようになりたい。
報恩感謝。