”理”

2011.10.13

今日の写真はPCに入っていた
サンプル画像・・・きれいでしょ♪

今日は広島高等裁判所 書記官の方たち20名の研修でした。
テーマは“自己啓発” 
啓発とは知識をひき起こし理解を深めること
自己がつくから自分自身・・・の理解とも言えるでしょうか。

思い出したのは先日 米山奨学生の韓国からきた金さんの卓話。
「武士道から学ぶ」をテーマに哲学的に紐解きながら、
技を学ぶと同時に理(心)を学ぶ必要がある と熱く語ってくれました。

私たちはともすればスキルを磨くことに走りやすく、
そのもととなる自分自身のあり方、
マインド部分には焦点を当てることをせず、活かせないことが多い

自分自身を知り 自身をコントロールするには、理(心)を磨かなきゃと感じました。

3時間あっという間でした。 お疲れさまでした。
窓の外からは時折 金木犀の香りも入り 熱い時間を過ごせました。
ありがとうございました。 報恩感謝。

 

(り、Lĭ)とは:中国哲学の概念。本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を
磨いて美しい模様を出すことを意味する。
そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生する。もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになる。それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになった。 (Wikipedia参考)