共生日和

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  • 成功

    成功とはお金のことではない。お金を持つことで、幸せにはなれない。お金はあなたではないのだから。物を獲得することで、幸せにはなれない。物はあなたではないのだから。地位や名誉によって、幸せになれるものでもない。名誉はあなたではないのだから。あなたを幸せにできるのは、あなた自身である。      ―ジェームス・スキナーー********************************アブラハム・リンカー……

    2005年5月27日

  • 『ある日突然に!』あなたの介護は誰がしてくれますか?―ご紹介―

    <strong>『ある日突然に!』</strong>・・・島根県西部に住む障害者や家族の思いを載せた手記集:ボランティアグループ「さくら」が自主出版している本(広島Eマガジンの船崎さんの発信から知る)ライフプランナーの岡村氏が情報提供されたとのことで、昨夜のうちにその本を届けて戴きました。ボランティアグループの石川優美副代表とお会いして共鳴して情報提供されたとのこと。彼女の……

    2005年5月16日

  • なんども なんども

    なんども なんども 繰り返す。なんども なんども 繰り返す。なんども なんども。なんども なんども 繰り返すと はずみがつく。なんども なんども 繰り返すと 勢いがつく。はずみがつき 勢いがつくと おもしろ味が出てくる。どうしようもない人間が あたり前の人間になるにはただなんども なんども 繰り返すことだ。あたり前の人間が 専門家といわれる人間になるには同じことを なんどもなんども繰り返すことだ。……

    2005年5月8日

  • LEOL通信76号発行!

    LEOL通信76号(4月)発送しました。そろそろお手元に届く頃です。メール配信の皆様、今少しお待ちください。明日からいよいよGW・・・皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。広島市内の100M道路は例年のフラワーフェスティバルの用意に余念がないようです。自然を愛でるもよし・・・映画などのインドアもよし・・・有意義なGWをお過ごしください。

    2005年4月28日

  • 人生とは・・・

    「人生の進み具合というものは、なんと奇妙なものだろう!小さな子どもは『もっと大きくなったら』と口にする。だが、どうしたことだ。大きくなった子どもは、「おとなになったら」というではないか。そしておとなになると、『結婚したら』と言う。けれども、結婚したらいったいどうなるか?考えがコロリと変わって、『退職したら』とくる。やがて退職が現実のものになると、過ぎし日の光景を思い浮かべる。そこには木枯らしが吹き……

    2005年4月25日

  • 人間は自分が考えているような人間になる

    種のまき方で収穫が決まる自分にとって一番楽しいことをやりなさい。それが社会に最も奉仕することになり、ひいては増収のためにもなる。種のまき方で収穫が決まるのである。この偉大なる真理について、深く理解していただきたい。自分たちのまいた種の質と量を検査したいのなら簡単な収穫一覧表を作成すればよい。人生で手に入れた収穫物はすべて、社会にまいた種の量と質の結果だからである。家族、心の安息、友人の数、同僚との……

    2005年4月22日

  • 広島修道大学で「キャリア・サーチ」講座がいよいよスタートします!

    広島修道大学にて「キャリア・サーチ」講座に非常勤講師として参加します。商学部の川名先生を中心にB群特殊講義としてスタート。≪自らのキャリアコースを自らの力で探すこと≫を目的にビジネスマナー、人脈作り、情報収集・公開・・・と流れていきます。現在の学生に乏しくなっている?社会人としての基本的コミュニケーション能力?「職業」への主体的探求意欲?現実経済・社会への関心・・・を向上させていくのが狙いです。こ……

    2005年4月13日

  • 「子ども」

    これからすべきこと・・・「子ども」   ドロシー・ロー・ボルト批判ばかりされた 子どもは  非難することを おぼえるなぐられて大きくなった 子どもは  力にたよることを おぼえる笑いものにされた 子どもは  ものを言わずにいることを おぼえる皮肉にさらされた 子どもは  鈍い良心の もちぬしとなるしかし、激励をうけた 子どもは  自信を おぼえる寛容にであった 子どもは  忍耐を おぼえる賞賛をう……

    2005年4月6日

  • 最後だとわかっていたなら

    「最後だとわかっていたなら」(作者不明))あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたらわたしはもっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように祈っただろうあなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたらわたしはあなたを抱きしめてキスをしてそしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろうあなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたらわたしは その一部始終……

    2005年4月6日

  • 笑顔がすべて

    声がでないのではありません、出せないのです。手や足が動かないのではなく、動かせないのです。それが悔しいのです。背中が痛い、寝返りしたい・・・けれどもさせてくれない。それが恨めしいのです。痰がつまった。取ってほしいのに、ゼイゼイしてからようやくサクション、痰がなくてもサクション。その痛いこと・・・それが腹立たしいのです。幼児と同じ言葉で話しかける・・・それが悲しいのです。お父さんが来るたびにいろいろ……

    2005年4月6日