元貴乃花を支えた女の子

2005.06.01

双子山親方がある雑誌でこんな話をされていました。

 私がね、大関になって3場所目の大阪場所のことですよ。初日対戦相手とぶつかっていった瞬間、首から足のつま先に向かってピリッ、ピリッという電流のような痛みが走ったんです。「ウッウ!」痛みで首が動かせない。シコを踏む振動だけで肩甲骨のあたりに針を打ち込まれ、無茶苦茶にこねられたような痛さなわけです。そして三連敗のあと休場。レントゲンを撮ってみると、脊髄が複雑に何箇所もずれ、相当長い期間の治療が必要だとわかったんです。「相撲が取れないかもしれない」と本気で悩みましたよ。

そんな私をたち直らせてくれたのが由加さんという白血病の子を持つ植富貴子さんの手紙でした。脊髄の痛みで夜も眠れず、精神的にもまいってしまい、ある夜自室に閉じこもってその手紙を読んだのです。

「・・・腹痛、熱、血尿、そんな中での補講練習。でも決して由加は弱音を吐きませんでした。親の私でさえ見上げるほどでした。歩こう、歩きたい・・・。この目で貴乃花関の相撲を見にいきたい。この手で握手したい。送っていただいた手紙を枕元に置いて、貴乃花さん頑張ってくださいとお祈りしてから眠る由加の希望を叶えてやって下さい。必ず・・・」

私はこの手紙を読み終えてから暫く放心状態になりましたよ。一つには、最後の便箋の文面の途中に涙の跡を見たからです。万年筆で書かれた文字が滲み、淡いセピア色になっているんです。いつの間にか私の目にも涙がにじんでいました・・・・。

私は深く心に刻んだんですよ。軽量で、しかも脊髄に故障を抱えている。真正面からいくのは絶対不利だ。”でも逃げない。ぶち当たってゆくんだ”。貴乃花の相撲はこの親子がつくってくれたんです。

結局、由加ちゃんは昭和48年10月6日、9歳8ヶ月で亡くなられたのですが「ありがとう、バイバイ」が遠のく意識の中からの最後の言葉でした、とお母さんは言っておられました。

―南蔵院第十三世住職 林覚乗
「自分がすきですか」テープ、本より―
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南蔵院住職さんは、由加ちゃんは天寿を全うしたのだと書かれていました。天寿とは天から与えられる寿命。天寿を全うするというのはその与えられた自分の役割を果していくということ。
双子山親方(元貴乃花)もきっと天寿を全うされたんだと感じる。私達ひとり一人にきっと生きている意味があるはず。そんな生き方がしたいものです。