声が枯れるまで、叫んだり
手が痛くなるまで、拍手したり、
時には、ないちゃったりもする。
自分がプレイするわけでもない。
賞賛されるわけでもない。
自分のことじゃないのに、
どうして、人は人を応援するのだろう?
それはきっと、本当は他人事じゃないから。
人は人を応援することで、
逆にその人から応援をもらっているんだと思う。
もしこの世が、今よりもっと、
応援というコミュニケーションで溢れたとしたら、
元気になると思いませんか?
あなたのエールをできる限り届けたい。
ドコモは応援する人を応援します。
そしてがんばる人を応援します。
(DOCOMOの朝日新聞広告より)
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2008年8月8日(金) 本日北京オリンピックの開会式です。 史上最多の205の国・地域が参加し、24日まで17日間、スポーツの祭典が行なわれる。
スポーツは、やっている人だけじゃなく観るほうにも感動だったり、悔しさだったり・・・色々な素直な感情を沸きあがらせ、そして、元気をくれる。不思議です。
≪それはきっと、本当は他人事じゃないから。≫
どこかで力を貰い、「よーし!」という力にしているのかもしれない。
勇気だったり、力だったり・・・
人は弱いから・・・自分のためだけにがんばることってなかなかできない。
あんなに固く自分の心に誓って自分へ約束したはずなのに、いつの間にか挫けてしまう。そして、諦めてしまう。
でもそんな時、誰かのためにならがんばれる自分がいる! よし!って踏み出せる自分がいる。
≪人は人を応援することで、
逆にその人から応援をもらっているんだと思う。≫
応援っていいですね!
がんばれ! ニッポン!
がんばれ! 世界からきた選手たち!サポーター!
そして・・・ がんばれ わたし! みんな!