妥協

2005.09.27

みんな一度なら、
見て見ぬ振りをするだろう…
だけど、それをやると、
二度目から、あっという間に
簡単に妥協して生きることになる。

すべてはたった一度の
「妥協」から始まる。

         −ドラマ「24」より―
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人生の2本のバーを例えて仕事についてよく話をする。
1本目のバーは、今この瞬間から仕事も家族も何もかも失ったとする。そうしたら人はどうするか・・・形振り構わず職を探し日雇いだってするだろう。今日一日を食いつなげるためにガムシャラに働くと殆どの人が答える。のたれ死ぬなどとは言わない。

その生活もやがて安定へと向かい、生活環境も整ってくる。すると人はより恵まれた生活を望むようになる。夢を持ち、目標に向かっていくだろう。<ガムシャラバー>の頃のことなど微塵も思い出さない。

そんな時ちょっとしたつまずきやほんの小さな心の隙間から、夢や目標が遠ざかることがある・・・・・その瞬間
もう一つのバーを越すことができない。「まあいいか」とか「どうせ・・・無理だから」など出来ない理由を並べ始めたちまち≪妥協≫だらけの生活が始まる。その越せないバーは<ボチボチバー>

これを会社の仕事に置き換えた時、皆が一つの目標を達成するために越えようとするバーがある。ところが誰か一人でも「まあ、これくらいやっとけばいいだろう」とか「自分がやらなくても誰かがやるだろう」と・・・一人でも二人でもそんな人が出てきたら越えれるバーも越えれない。目標は遠のいてしまう。それどころか誰かに負荷がかかり迷惑をかけてしまうのだ。

このボチボチバーが手が悪いのは、だんだん下がってしまうこと。妥協の習慣は、自分をディスカウントしながら生きていくことになる。たった一度の≪妥協≫がいろんな場面で顔を覗かす。そしてそんな生活を続けていくのだろう。仕事でも私生活でも・・・。

多くは望んでいない!とかボチボチ生活できればいい!などと言うけれど、ガムシャラバーでの生活なども望んではいないのだ。ましてそのバーさえ越そうともしない世捨て人にもなれない。

何よりしたくない妥協は「幸せ」に見せるための妥協かな。辛いもん。