声がでないのではありません、出せないのです。
手や足が動かないのではなく、動かせないのです。
それが悔しいのです。
背中が痛い、寝返りしたい・・・けれどもさせてくれない。
それが恨めしいのです。
痰がつまった。取ってほしいのに、
ゼイゼイしてからようやくサクション、痰がなくてもサクション。
その痛いこと・・・それが腹立たしいのです。
幼児と同じ言葉で話しかける・・・それが悲しいのです。
お父さんが来るたびにいろいろな思いを込めて話すけど通じません。
お父さんは額に手を当てて、じっと瞳をみつめ
「わかった、頑張れ」と言います・・・それがすまないのです。
娘を見るたびに、母親として自分のふがいなさに泣きました。
悔しい、恨めしい、腹がたつ、悲しい、すまない、情けない、
不甲斐ないと泣きました。只泣くだけの2年間でした。
こんな生活にも少しなれた頃、介護さんの佐藤さんに会いました。
明るい励ましと、楽しい話だけ、
行き届いた介護・・・泣く原因がなくなりました。
お父さんの笑顔、子ども達の笑顔も元気を与えてくれました。
「おかあさんの笑顔、素敵」と娘たち。
佐藤さんも笑顔で話しかけ、頬ずりしていきます。
明るい毎日です。 心が顔を変えました。
寮母さんの笑顔に応える私です。
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昭和62年 朝日新聞記事より・・全身麻痺で体の中で動かせるのは
まぶただけという患者さんの夫が、妻の気持ちを文字盤で読み取って記録されたものだそうです。